ミドルベリーに引っ越した時から、自然をもっと普通に楽しめ始めて、崇高のことも決めって経験でき始めた。崇高というと、大きさが考えたり、理解したりできないほど、何かが大きかったり、きれいだったり、強大だったりする意味する。見えないで、あることが存在するか信じられないほどのことは非常に説明しにくくて、描写がすごく大変。ミドルベリーに入ったおかげで、出身から出て、色々な当時まで経験したことと全然違う所に行けて、経験できて、崇高という気持ちに慣れてきた。飽きられることではない。感情として、これを感じると、日常の心配とか、生活の悩みとか、恐怖がなくなって、安心に考えられて、自分より大きなことを楽しみながら、あの形容のないことを解しようとするけど、できないのに、大丈夫。僕にとって、こういう感情から、とても深い小ささの気持ちを感じて、世界じゃなくて、全宇宙の中に、小っちゃい部分しかじゃなくても嬉しい。どんな言語でもすごく大変な説明だけど、感じたことがあったら、必ず上記の説明が分かりと思う。(すごく言葉を間違えなかったなら。。。)

日本に来る前、アメリカも、メキシコも美しさが多いのに、色々な難関のせいで、あまり経験できなくて、とても残念だった。でも、日本での美しくて、感動させられる自然は着きにくくない。日本はとても美しい国だけど、自然と人間の歴史的な関係おかげで、日本では、自然を優しく経験できる。東京は全然違う場合だけど、旅行をとおして、日本中暮らしながら、自然を楽しめる感じを持った。日本にいる間に、色々な好きじゃないことを見つけたけど、自然のきれいさを忘れると、下の写真のような景色を見たら、日本の一番好きなところが思い出しす。島国で、山とか火山しかなくて、海も多いと言われるけど、そういうことしかないわけではなくて、それもあるわけであれば、日本の自然に正当な取り扱いをできる。
写真のところを見た時に、崇高で、教区感激した。

地獄谷野猿公苑への散歩中、こんな日本を見た。

名古屋から帰る間に、バスが国道の休憩所に止めて、この景色で、教区感激して、迷うっているような気持ちで嬉しかった。

伊豆の海岸でゲームでしか見たことががない景物を見て、びっくりした。

箱根の火山。玉子の腐臭が強かった。

逗子の海から、太平洋へ。